和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

論理的感覚。

あなたは第六感を信じますか?

フィーリングって、信頼がおけない的なイメージがありますよね?
社会でも論理的思考が求められていて、もちろん、ビジネスにおいて論理的でないことは危ない橋を意味する。誰も『これからの景気は回復する』っていう理由が『なんとなく…』なら、信頼しないもんね。

でも、それは客観の問題。

主観を論理的に理解できる?客観的なものを論理的な枠組みで理解するより、数倍難しいんじゃない?100%の主観を排除することなんて無理っしょ?

たとえば、人を好きになる理由。

きっと容姿やら金やら性格やら何だかんだ言っても、お互い『なんとなく』惹かれていったんだよ。

実は、直感も論理立ってるんじゃないかなぁ。すべてのことに理由があって、ただ、その理由が認識できないばっかりに、『なんとなく~な気がする』としか語れないっていう。
いわゆる、言葉にできない、無意識層のレベルでの思考な訳だ。
(そしてそれは生まれてから今まで育まれたものに影響されている…。)

だから、『何か違う』って違和感も、『喜怒哀楽』って感情も、何かしら理由がある。ただ、隠れているだけ。

もちろん、論理的思考が、感情の原因を探し出す手助けになることは間違いない。

でも、時々僕は思う。理由を探しすぎて、確証がなくて動き出せないのって、かなりナンセンスじゃないかって。

もっと直感に頼ってもいいんだよって。

そりゃ人に対して客観的に接するときは、前述の通り信頼を得られない。
そればかりか、責任の問題としてどーよ?
相手の話が真剣であればあるほど、感覚の話って無責任じゃね?
(それしか意見が思いつかないってのもあるけど。)

でも、自分に対しての感覚は、意外と信頼してやるべきじゃないかな。
案外、その理由を探すことで、自分の感覚が間違いないか確かめたい自分もいるのかもやけど、それでも、自分を信頼してやれるのは自分しかいないんやから。

でも、今の僕の悩みは解決しないんだなぁこれが。

どうしたら、この感覚を解ってもらえるだろう…?
『なんとなく、ピンと来たんです。』『きっと貴社に入る運命なんです。』…なんて志望動機で言えない。
今はちゃんと感覚の理由を探す旅に出ているけどさぁ。
言えば言うほど、嘘っぽいというかなんというか。感覚人間の弱点。。。
場数が大切なんかな、『なんとなく』やけど。苦笑