和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

何かが終わるということ。

攻めるとは、リスクを伴うもの。
サッカーに例えるなら、得点を決めることが目的だがカウンター奇襲攻撃を食らう恐れもある。

カウンター奇襲を受けて、『それは仕方ない、個人の能力だけじゃない』と言う人もいる。
『運やタイミングも必要だ』と。
しかし、そういうものを引き寄せ掴むためにかなりの個人の能力が必要ではないだろうか。
結局は個人に能力がなくてはならないていうこと。
そういうことを認められない人が周囲や環境のせいにして己の身を嘆くばかりで理想や希望に囚われ、リスクを避けるだけ避けてこれまでと変わらない、人の家で願望を欲望を語るだけの日々を過ごすんだよ。

結果だけじゃない。
たとえシュートを外しても、
攻め上がったリスク経験が肝心なんじゃないの?

今、ある本の紹介を考えているんやけど、その本の一節。
『何かの終わりは、いつだって何かの始まりなのだ』
本当に新しい何かが始まるのだろうか。
いや、始まるんじゃない、始めるんだよ、きっと。
自然に始まることなんて奇跡みたいなもので、なんか果てしない。

次に彼とこの件について話すときがあれば、『ある程度の覚悟をしろ』と言いたい。
それで傷ついたって本望だろ?
ひとりがいいなんて、ひとりじゃ何もできなくて不安な癖に。