和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

教育。

教えられる側があまりに多数だとそれは大教室的無関心が起こるものだけれど、
教える側が多数いるというものもどれを信じて良いのか解らないよね。

同期内での勉強会。
とりあえず第一回はエクセル講座。
「これって大学の情報処理の時間みたい」なんて話も出たけれど、
どう見ても教授役が傲慢だったと思う。

いわゆる押し付けの嵐。
「これも知っといた方がいい」「あれも」「メモは後からでいいからとりあえず聞いて」なんて言って、
カタカナや漢語を組み合わせた説明の要領は、
傍から見ても「これってどうなんだろう…」という。
(ちなみに今回は他のコのほうが僕より詳しかったのね、本人によると。
実際はどうか解らないけど。)

誰かに教えるということはある意味で傲慢なものだけれど、
こんなにも強圧的な印象を与えるものだとは知らなかった

これまで僕が持っていた知識を伝えていたつもりであったアルバイトや大学内でのあれこれも、
よく考えてみればそうだったんだろうなって思ったり。

要するに、今日教え役だった彼にはそういう経験が足らなかったんだろうなって思うわけです。