和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

五月雨ジャンルレス。

平気だと誇示するのは実は平気ではなかったサインだった。
今ならそう思う。


会話にはさまざまな種類がある。
雑談から、ちょっと真剣で立ち入れなさそうなものまで。
しかし、あえて僕のいない場所で繰り広げられる会話があった。

僕にはあまりに刺激的で、衝撃が強すぎた類のその話をするとき、
彼らはそっと目を合わせ、周囲を見回す。
前回、受け入れを拒否した僕は、周囲の声が変わるその瞬間、
そっとお手洗いへと出かける。
まるでそれが「生理的現象」であるような顔で。

だからといって、彼らの話す内容が解らないほど鈍感でお子様な僕ではない。
帰ってきたとき、空気で察することができる。
その後の流れでたいがいの枠組みを捉えることもできる。

その距離が、快適だった。
そして、哀しくもあった。


なんとなく、今日は彼らに追いついてみたかった。
もう僕は大丈夫です、って。それくらいなんてことないですよ、って。
普段なら言わないようなあれこれを付け加えてみた。
むしろ、言わなくてもいいようなことまで言ってしまっていた気がする。
ある意味、露骨であり、それが僕の強がりであった。

結局、
その内容を受け止められるほど大人でない僕だったということである。

これからはお手洗いに行かされるようなことはなくなったのだろうか。
それとも、やっぱりこの問題はまだ避けるべき存在と思われているのだろうか。

自分が本当に大丈夫かと言われれば、どうだか解らない。