和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

ウィークウィークウィーク。

僕は冗談は通じないし空気は読めない。
でもそういう欠点が僕の魅力(のひとつ)であったと思う。

人は自分以上に”ナニカ”が欠けている人間が好きだ。
おそらく、欠けている部分が自分にあることに優越を感じるのだろう。
もしくは、欠けている部分が共通していることに安堵するのだろう。


そんなやりとりがうんざりだったはず。
口だけで行動が伴わない人を嫌っていたはず。
本気でいないことで自分の「本気」を規定しない人間を馬鹿だと思っていたはず。

それなのに、気づけばいつの間にか自分が支配されている。
憎むべき愚痴や言い訳が繰り返し飛び出す口。
知らぬ間に人の話を聴かぬ耳。
完全に自分の世界へと閉じこもってしまった心。
深く考えることを諦めてしまった脳と、麻痺してしまった衝動。

思えば、いつだって支配されていた。
「強くなりたい」「変わりたい」「負けたくない」と言う度に、
それは「だけど」の接続詞を含めていたし、
それができたと思った瞬間、このくらいでいいかなというストッパーが働いたり。
「~したい」という欲望ではなく、「~ない」という強さが足らない。


いくら仲の知れた相手だったとしても、逢うたびにそんなんだったら僕なら関係を断つね。
ということは、僕がもうひとりこの世界にいたとしたら、僕は僕と関係を断つね。
それを許容する人間に感謝するとともに、脱却してない自分をおろかだと思うよ。

空想は現実じゃないんだよ。
そんなことにいまさら気づいた

世界を転換できないなら、今の世界に文句は言わない。
動き出してないことを、進んでいるように言わない。
辛い顔や浮かない顔をしない。相手にあわせるなんてしない。
空気の読めない人間になるなら、「自然となっている」んじゃなくて、「意識的になる」。
そんなことも解らないで、よく22年間もこれたものだよ。