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和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

希望を持って生きるための足枷について考える。〜「夢」に窒息させられる社会への警告文〜

01日記

夢は持たなければならない?

結論として、持ったほうが楽しいと思います。それが自分の生きる道標になると思います。そして、それは現実的でも非現実的でも構わないし、どんなに大きなものでも小さなものでもいいと思いますよ。それをもって、目指している人は素敵だし、ただ自由に生きたい人もいるだろうし、海外なんて怖いから、家族とずっと一緒にいられたらそれでいいって人もいるだろうし、音楽に命かけてます!ってのも立派だし。

夢=高尚でなければならない?

この「やりたいこと」がない人もいるでしょう。それなら、見つけるまでゆっくりしてもいいと思うんですよね。それを、「早く見つけろ、しかもそれは世界に貢献できるものか?自分の一生を賭けられるものか?くだらないものならお断りだぞ!」みたいな風潮が今世界には多くあるのかなぁと思います。

実体験で言うと、「そりゃ夢だけじゃ食ってけないけど、小さくてもくだらなくても、それでもひとつの大切なもの」と気づくまでは何してもピンと来なくて。当時は、「風呂あがりのビールがうまいから、それがあればいい」なんて大人を可哀想だと思ったし、学生時代はすごい人ばかり見ては自分がすごい人になっている気になって、結局は自分を見つめることから逃げていたり。

きっと、自分がやりたいことをうまく表現できなかったし、それを貶されるのを恐れていたのかもしれない。一番不自由で、夢を持てていなかったのは自分だったんですよね。風呂あがりのビールだって毎日うまいわけじゃないから、うまいビールを飲むために働いたりするわけであって。そんな努力を何もせず、斜め上から見下していた自分が今となっては恥ずかしい。

夢を批判したり非難したりするのはナンセンス。そして、その夢が小さければ達成しやすいかもしれないけれど、達成された瞬間、その人は現状維持のために努力するか、そこから派生した次の夢に向かってストレッチがはじまるんでしょう。

自分の人生が社会でたくさんの人に影響しなくても、
たったひとりでも共感しあえたら、それでいいのかもしれない。

自分のためを突き詰めたら、いずれは誰かとの関わりが出てくるもんだし、自然と影響を与えあって社会は構成されている。自分ができないことは誰かができるもんだし、自分がしたいと思ったら動けばいい。人はみんなそれぞれ違うということをまず認めることが必要で、それを個性と呼ぶのかなぁと。

今なら言えること、
それは、別にやりたいこととかくだらなくていいから、
毎日を生きたいように生きてみようよ、って。
犯罪とか人に迷惑かけないとか、
そういう最低限のルールさえ守れば、
僕たちは希望を持ったっていい国に生まれたのだから。