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和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

僕が「不感症」なのだとしたら。〜誰も知らない僕だけの秘密〜

僕は、人を愛した経験がありません。

それは、誰かと恋愛経験を持つという意味でもあり、精神的なつながりという意味でも同一です。

過去に一度だけ、高校時代に付き合った人はいますが、それは恋愛ではなく、ステイタスとしての恋愛であったと自覚しています。結局その女の子とは半年間付き合って、キスまではしましたが、だからどうだというわけでもありませんでした。

別に恋愛ドラマは好きです。そういう気持ちになることも理解しますし、そういう行為に及ぶのも本能的に当然かと。合コン?別に行きますよ。むしろ回数で言えば多いくらいですし、向こうからアプローチがあったこともあります。丁重にお断りしましたが。

女性嫌いなのか?男性がいいのか?とよく訊かれますが、
両方とも違っています。

僕にとって、女性と話すことは苦痛ではありません。むしろ、共感する部分も多くて、興味深い存在です。たとえば、男である自分との見え方の違いや考える開路の違い、恋愛に対する価値観や年齢とともに変化するライフステージだったり。

じゃあ男性が好きかと言われることも多くありますが、もちろん、それも違います。それを確かめにそういう系の本を読んだりネットで調べたり実地調査でそういう系のクラブに行ったりもしましたが、まったく惹かれるものではありませんでした。ただし、そこにいる人たちの愛に対する考え方については惹かれるものがありました。純粋に、相手の性別を考えず、ただ純粋に好きという感情を持って生きているんだと。

原因は、たぶん性に対する不快感。

どちらかといえば、性に対する不快感というものが自分の中にはあります。

だから、そういう卑猥なビデオや雑誌を見ることはありません。自分で自分のことを慰めた経験もありません。

それがいつ生まれたものか、それは解りません。生育環境に問題があったのか?そうかもしれません。じゃあその環境を恨んでいるか?それも違います。別に人を愛さなくても生きていけるし、ただたんにまだそういう人と出逢っていないだけかもしれない。ただ、ひとつ覚悟していることは、ひとりで生きていく覚悟を持たなければならない、ということ。

たとえば、結婚した後、子どもをつくれないとなった場合、女性はやはり嫌がるものでしょう。仮に人を好きになったとして、僕は上記の現実を告げることは苦しいことであり、そうであれば人を愛することを諦めてしまったほうがいっそのこと楽だとも思うのです。それが、正しいことでなかったとしても。