和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

未来を担う若者は駆逐される。

社会に出る前はなんとでも言える。

ペシミスティックだと言われても構わないが、個人の前じゃ圧倒的に社会のほうが大きくて。
今、現状で社会変革を意気込む学生たちもそのシステムの中に吸収されていくことで、気づかないうちに妥協したり諦めたりを繰り返して、そうやって”一般的な”大人になってしまうのだろうと思う。

社会に属さない大人をカッコイイと思い、少数の大人が賞賛される一方で、そういう大人に憧れたうちの何人がそういう大人になっているのだろうか?
そのほとんどの人間は就職活動して、その華々しい経歴を活かして”大手企業”と呼ばれるとこで飼いならされるのでは?
政治について語っている人は政治家にはならないし、教育に問題提起を掲げても未来に希望を持って教師を続けるには既得権益から自由にならなければ成立しない。
無意味な選挙に振り回され社会的損失を被るのも、労働力として食い物にされるのも、実は時間があってお金のない若者たちである気がしてならない。

たったひとりでも、共感してくれるなら。

そんな中、どうして僕は人材育成にコミットしてしまったのか。
”普通”が”苦痛”になったのはいつからなのか。
”普通”でいられなかったのはどうしてなのか。
誰も救えないと言いつつ、誰かへのアプローチを辞められないのはどうしてなのか。
たったひとりでも共感を求めてしまうのはどうしてなのか。

こんな僕の言葉が少しでも誰かに届いてほしいと思ってしまうのはエゴだけれど。
この生き方はつらすぎるのだけれど。
もっと自分で自分のことを認めてあげることが必要だって解っているけれど。

考えながら、泣きそうになりながら、今日も必死だ。
駆逐されてたまるかと思いながら。

 

以上、若者のカテゴリから外れても、心は大人になりきれない大人のつぶやき。