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和海悠の『Passing through a Tunnel』〜方向性模索中〜

和海悠(かずみゆう)の好きな音楽、創作、IT、最近の興味と自分の気づいたことをダダ漏れに発信中。

相手の立場に立つ、なんて簡単に言うけれど、

そんな簡単に行くわけ無いじゃん!!!

Google先生Wiki辞書も具体例は示してくれない。
結局は、人間と人間のぶつかる中でしか磨かれない「人間力」だなんて、抽象的な言葉で片づけられるんでしょ?

毎回、報告の旅に求められる「相手のことを考えて」って、一応考えているつもりなんだけれどなぁ。これでも、リクエストに最大限応えているつもりなんだけどなぁ。

そう思っている人、僕だけじゃないと思うんですよね。

じゃあ具体的にどうすれば?

今、本気で探しているところです。そもそもWebで作詞している人間の大部分は自分のことや空想を描いていることが多いわけで、聴衆を意識して書いているか、と言われれば疑問でしかないのですが。(もちろん、それはそれでありだし、それに共感する人がいるってことも大いにあるのですが)
でも、誰に聴いてほしいとか、そういう考え方を今までしたことがなかったなぁとは思います。良くも悪くも。

そして、人と会うのが怖い、ぶつかるのが怖いなんていって引きこもってばかりいた自分。
本音の話は一切できなくて、相手が知りたいコト以上を提供して自分の価値を確かめたり、あえて依存させることで自分がいる意味を見出すなんて無駄な作業をしていたり。
嫌われるのが怖かったといえばそうですが、正しく言うなら「人の反応で傷つく自分」を想像したくなかったといった方が正しいなぁと。

ある意味、鈍感力と通じるものがあるのかもしれないです。もっと鈍感になれれば、自分が傷つくこともない。相手の反応も、ただの「事実」でしかない。

matome.naver.jp

 その「事実」と「感情」を切り分けることについては、ベストセラーにもなった以下の本で知りました。あくまで「知った」だけであり、使いこなせているわけではないんですけどね。(;・∀・)

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

アドラー心理学はシンプルで、解りやすい。これまで原因や過去の分析をしていたものの見方を現在からどう見るか…なんて言えば啓発本の系統だけれど。
青年と哲学者のやりとりで構成されているんだけど、自分の感じる疑問や感情を青年が代弁してくれていて、厭味感がない。
そして、自己肯定ではなくポジティブでなく、自己受容をすることで、今を生きること。過去に理由づけしても未来を予測しても解らないものは解らないから、今ここにいるという現実を見つめること。
どれも疎かにして過去を言い訳に未来ばかり見ていた自分にとって衝撃でした。こんな考え方もあるんだ、という選択肢を新たに与えられた気分。そして、その選択肢が素直に受け容れられそう。
今回は、簡単に実践できないなんて言わない。繰り返し読んで刷り込んでいきたい!とは思います。でもやっぱり抽象的。

結局は、答えなんて簡単に見つからないからみんな悩んでいるわけで。

いかにトライ・アンド・エラーの精神で飛び込めるか、傷ついても傷ついても立ち上がれるのか、という一点でしかなくて。
今や東京でひきこもりと言っても過言でない生活を送っている僕ですら、働かないと食ってけないし、そりゃあ職場にも社会にも貢献したいわけで。
それなのに「相手の立場にたてないのでコミュニケーションできません」なんて言ってられない。

自分に鈍感に、相手には敏感に、事実を置いて練習あるのみ。

後はそれを行動に映すのみなんだけれど、さすがに1ヶ月くらい同じことでグルグル回っていて疲れてしまっていたのでしょうか。(知るか)

読んでほしい人を想定しての作詞から始めるととっつきやすいかな?何事も好きなことから、と言うし。